By Mariko Ankai
さて問題です。
8月25日に行われたミス・スプラナショナル・ジャパンについて、次の問いに YES か NO でお答えください。
① 身長が高くなければファイナリストにはなれない。
→ NO!
② はじめから自信満々の人ばかりが集まっている。
→ NO!
③ 出来レースである。
→ NO!
④ ライバル同士のキャットファイトがある。
→ NO!
⑤ かけがえのない経験ができる。
→ YES!
ミスコンは、自我の強い人ばかりが集まっているように思われがちだが、自己肯定感が少ない自分を変えるために、ミスコンへの挑戦という荒療治に出る人もいる。
そして、今大会にはこんな女性たちがいた……
男性社会の中で働き方を模索し、自ら居場所を築いてきた建設業の女性は、その経験をシェアするために挑戦。また、看護師をしながら参加した女性は、人の生死に触れる仕事の中で、「自分の人生とは?」を問いた瞬間があったようだ。自分の人生をより輝かせるために、とことん自分と向き合わなければいけないミスコンは、絶好のコンテンツとして存在していたのである。
誤解を恐れずに言うならば、ミスコンは出来上がった人が挑戦するものではなく、成長への余白がある人たちが集まるもの。だからこそ、若い女性の意味で使われる “ミス” という言葉が生かされる。
優勝するのは、とことん自分と向き合った結果少しばかり成熟し、運を味方につけた人。運を無視することはできないが、運を確実のものとするために、彼女たちはトレーニングに励む。
「美を競う」だとか「日本一の美女」だとか、キャッチーな言葉が見出しを飾るけれども、長年ミスコンを追っている私には、それらは少し違和感のある言葉かもしれない。ミスコンは、もっと泥臭く、それでいてピースフルな、若い女性たちの成長過程を追ったスポ根ドラマのようだから。
時に、「女性の美しさに順位をつけるなんてナンセンス」という言葉が投げかけられる。でも人は、順位がつき、ライバルの存在があるからこそ飛躍的に成長できる。その成長こそがミスコンに参加する意義のひとつだ。だからこそ、最終的に「1位になることがすべてではない」と断言できる。
大会の最終日は、そんなリアルドキュメントの集大成。一人一人のドラマが重なり合うからこそ、我々はエモーショナルな瞬間を目の当たりにすることになる。
ミス・スプラナショナル2019世界大会への切符を手にしたのは、東(ひがし)東京代表の竹中夏海さん。彼女は、誰よりもきちんと丁寧な挨拶をし、スタッフたちが慌てて脱ぎ捨てた靴を、誰も見ていなくても揃えてくれるなど、日頃の行いから素晴らしい女性だ。ミスコン的なトレーニング以外のところでも美しい行いをしているからこそ、幸運の女神は彼女に微笑んだ。今年のミス・スプラナショナル・ジャパンでは、個人でのエントリーがあった中で、地方大会から勝ち上がってきたことも、彼女に自信を与えていたことだろう。
悔しさでいっぱいのファイナリストたちの顔が浮かぶ。しかし、竹中さんが優勝したことに異論がある人はいないはずだ。
本記事の冒頭で投げかけた④まで質問は、世間が抱いているミスコンへのイメージを落とし込んでいる。しかし、ファイナリスト自身が⑤の質問「かけがえのない経験ができる」のアンサー「 YES!」に賛同してくれるならば、ぜひその行動と言葉で、ミスコンに挑戦することの素晴らしさを伝えてくれることを願う。